「慣れれば」というマイナス評価

初めてプレイしたゲームに対するリアクションが今日の標題である。
「慣れれば」と私が言うことは無いし、これからも言うことはおそらくないだろう。だからといって、こういったリアクションをとる人を批判するつもりはない。感想の表現だし、それはもちろん自由だからだ。
言いたいことは、「慣れれば」という人のほとんど全部が慣れるまでプレイしない、ということだ。
「慣れればおもしろい」という感想はおもしろくない、と同義とみて差し支えないと私は解釈している。
今のゲーム環境はある程度の財力あるいは余暇があれば次々と新しいゲームが供給される。「慣れれば」ゲームはその中で着々と後回しになってしまう。
じゃあ、これで何の弊害があるのだろう。感想なんだから構わないじゃないか。確かにそうだ。ま、それでいいや。
気が向けば、また言及するかもしれません。