ミッシングリンクみつけた

さて今回の私は何を書いているのかというと、主として私の心の平安のことです。
本年も関西で行われたゲームマーケット神戸2016に参加してまいりました。ゲームマーケットに参加とはいえ、私はモノをつくるわけでもなく、モノを売るでもないため、自分たちのブースから出ることがあまりない(つーか、年々うちの受けもち卓数増えすぎやろ…)から、他の方がレポートしているような内容は全く書けないのでご了承ください。既に他の方たちのレポートやポッドキャストなどでその類の情報は充実していると思います(確信)。(^o^)

ゲームマーケットなどの大規模な催しものの際に私はできる限り、それに付随する催しにも参加するようにしています。今回は仕事がそこそこ忙しかったのですが、それでもなんとか前日会と打ち上げ会に一つずつだけ参加することができました。主催されたみなさんありがとうございます。(礼)
その前日会とか打ち上げ会なのですが、率直に言って私なんかは完全に門外漢です。(嘆)世代が違うから新しいこととかよく知らなくて、正直話題合わないし、知り合いもいなくてポツンとしていることが多いです。(寂)
何やっているのでしょうね?
ポッドキャストやネット生放送など視聴できそうなものはわりと聴いたりしているほうだと思うのですが、何か作業するついでに流し聴きしていることが多いうえに私が新作ゲームにほとんど興味がなく、結果として「率直に言って内容全然覚えていません(ごめんなさい)」状態なわけです。
ほんと、何やっているのでしょうね?(憫笑)
話をしよう、あれは今から36万…いや1万4000年前…(ネタ古!)
いや、ここを見ているほとんどの人が生まれていないはずの1970年代後半のことだ。その頃ね。SdJ関連のボードゲームを売っているお店なんてなかったのだ。実は厳密にいうとあったと思うのだけど、ど地方に住んでいる私に知る術がなかったのだ。残念なことだが、知らないゆえに見えないのは、私にとって無いのと同義です。1980年代前半にやっと海外でゲーム売っているお店とコンタクトがとれるようになってきて、私が輸入して訳してインストして細々とやっていたものだ。この辺のお話は始めると長いのでこれまで…。

上述の昔話の中で、知らないゆえに見えないのは、私にとって無いのと同義です、というくだりがありますが、このころ何が不安だったかというと自分たちのグループ以外にこの趣味に他に誰もいないのじゃないか? ということです。実は見えていないかつ知らないだけでけっこう近くにも居る。それを徐々に解決する手段を提供してきたのがパソコン通信、インターネットなどによる通信手段の進歩です。新鮮なプレイできるのもうれしかったけれど、それよりも同じ趣味で語り合えて情報交換できる仲間がいるというのが純粋にうれしかった。
時代は進んで、現在の少し前。オープン例会なんかに行くとね、若年層が居ないのだ。大体いつも遊んでいるアラサー(死語)中心で、そういう若年層を増やすには、とかいうのが話題になるのだけれどそんな妙案がすぐ出るわけもなく…。このころ何が不安だったかというと自分たち世代が年老いていくとこの趣味に他に誰もいなくなるのじゃないだろうかか? ということです。前のパラグラフに似た言い回しがありましたね。これを解決するのが更なる通信技術の進歩です。イノベーション万歳。文字以外の情報発信の敷居高さがすごく下がりました。今では私のような年寄りは除いて、だれでも情報発信が容易です。情報発信するメリットはいろいろあると思うのですが、発信するとその結果情報集まるのですよ。これは仕事でも同じですね。
私はゆうもあのスタッフをやっているので「全くゲームを知らない層」とのコンタクトはあるから、その層とボードゲームマニア層、それの「中間」がいないと思っていた。しかし、結果としてその「居ない居ないと嘆いていた層」を私は発見できました。これも先の「語り合える仲間を見つけた」と同じで居ないのではなくて見えていないだけだったのです。
彼らは前日会などにいけば目の前にいます。たくさんいます。とても元気です。屈託なく笑ってゲームや互いの放送の話をしています。いいものですね。たぶん、それを眺めてにこにこするために参加しているような気がしています。なぜなら、けっこう目の当たりにすると安心できるものなのですよ。(^o^)